●入り口
黒髪山正面登山道を下りてきて、林道を横断して住吉城址脇をトラバースして下ります。
小路の民家や一ノ鳥居が見えてきます。
道標に従い、右手の小路へ入り、30m先の堂宇です。
●札所堂宇
●安置仏
本尊(中央)
閻魔王:石造
脇尊1.(背後の棚上中央)
不動明王
脇尊2.(背後の棚上)
弘法大師:4尊
●歴史
堂宇前の解説板には、天正10(15829年頃に朝鮮から200人が運搬してきた、とあります。
しかし、朝鮮半島には閻魔王の文化は無く、様相にも疑問が残ります。
石像の右肩に残る「天正10年」は、竜造寺勢から攻められた伊万里勢が、
住吉城の後藤貴明を頼って逃げ伸びて来た年です。
伊万里家利の嫁は、後藤貴明の娘です。
住吉城の近くには「伊万里屋敷」という地名も残ることから、
この閻魔王像は、伊万里一族が移住後に彫った「安着記念像」と、考えることもできます。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末のチェックシート「12番」の所に、順礼の証として、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.住吉城址
場所
閻魔王堂の背後の山林
時期
1532年~1613年
由緒
始まりは武雄後藤家17代純明の頃に、武雄領内の戦乱を避けて居城を武雄から移した
1930年には、島原の有馬仙岩勢に攻め込まれたが、奇襲戦で追い返した戦場でもあった
終わりは江戸幕府の「1国1城令」で、20代茂綱が武雄塚崎城に戻り、廃城となる
現在は,本丸を囲む竪堀跡や大手口跡が残る
2.住吉城址駐車場
場所
閻魔王堂入り口から東へ100m下る
設備
車50台分の駐車場と公衆便所
黒髪山正面登山道の駐車場となっている
3.古寺跡「ふってらあと」
場所
札所の南東500m、市道(2車線)の左手
時期
不明~1672年
由緒
定林寺(88番札所)の開山地で、1673年に蜂ノ巣村(22番札所)移転までこの地にあり
1965年頃に、仏具「五鈷杵」が出土した
寺跡に残る墓碑は、武雄後藤家家臣:牟田六兵衛の墓石
牟田六兵衛は島原の原城戦で働き、君主:鍋島綱茂の逝去で追腹
第21番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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