●入り口
先人陶工の碑の南側にある石場展望台から、水路沿いの散策路から入ります。
遊歩道を緩やかに登り、30mです。
●札所周辺
石場神社境内の奥に立つ陶祖李参平公堂の奥に、札所表示があり、その先は落石・落盤の危険防止で入れません。
札所表示の真向いの陶石岩壁の上部に、小窓が切ってあり、その中に磁器製観音像が安置されています。
●安置仏
本尊(岸壁上部の小窓の中)
観世音菩薩:白磁坐像
●歴史
日本の磁器文化は、1616年に朝鮮陶工がこの地で陶石鉱を発見したことに始まります。
石場神社はそれ以降、陶石砕石場内に祀られてきた13の山の神を合祀するために創建された、と伝わります。
この観音像は、1900年に有田工業学校創設期の校長を務めた寺内信一の作です。
観音像は、陶石砕石場で殉職した陶石掘り工たちの、霊を鎮めているようです。
●札所漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「24番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.石場神社
場所
札所の境内
由緒
創建時期は不明だが、」江戸期の絵図にその姿が描かれている
社殿には、磁石場中に散在していた山ノ神13尊が合祀されている
境内の社殿南脇には1996年に川久保正幸(有田窯大教授)制作の陶祖李参平公磁像がある
境内の北側には、高麗神と八幡宮が祀られている
2.有田磁石場
場所
札所の東側一帯
由緒
朝鮮陶工の李参平公らが、1616年にこの地で陶石鉱を発見し、ここから有田焼、即ち日本の磁器文化が始まった
江戸期は坑道掘りで砕石されたが、1880年に露天掘り砕石に変更された
現在、国指定の文化財
3.白磁が丘公園相撲場
場所
有田磁石場の東側
管理者
有田町教育委員会
由緒
相撲場がここに造成されたのは1949年
この時、この土俵に上がった力士に、力道山光浩などの名が、当時の番付盤が残る
その後1950年には横綱:羽黒山、照国ら
1956年には横綱:鏡里ら
1991年には横綱:旭富士や幕内:若花田・貴花田らも
4.歴史民俗資料館
場所
札所から200m東側に戻る町道(2車線)沿い
歴史
1979年に建築
内容
有田焼に携わる町民生活文化史料を展示
有田焼窯跡から出土した陶片を整理した陶片図書館も併設
5.楠木谷古窯跡
場所
白磁が丘公園大型バス駐車場の西側
妙見社境内から見る西向かいの山斜面
妙見社境内から見た方がよい
歴史
1640~1650年代に稼働した窯跡
内容
初代酒井田柿右衛門が1646年に、上絵付け技法を創始した窯と思われる
6.コミュニティバス停「石場」
場所
札所の西方300m
行き先
中樽行き/JR上有田駅方面
管理者
有田町役場
●第25番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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