第37番札所 岩崎地蔵堂(いわさきじぞうどう)

●入り口

表通りに戻り、南方へ200m下り、右手の墓地へ入ります。


●札所堂宇


取付坂道のすぐ左手に石造り堂宇があります。

●安置仏


本尊(中央から右側3尊)延命地蔵菩薩

脇尊(左側2尊)弘法大師

●歴史

近くの白川川に掛かる岩崎橋の畔に、有田皿山下の番所がありました。

岩崎橋までが、江戸期の有田皿山の区域でした。

この墓地の西側奥に、有田皿山の処刑場があったと伝わります。

●漢字  


この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「37番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1.有田皿山下の番所跡

場所

札所の東側100m

町並み保存表通り「岩崎橋」の東側川向こう

由緒

江戸期に、有田焼技術の漏えいを防ぐために設置された口屋番所

人の出入りや、有田焼製品の搬出を厳重に監視していた


2.力士:五萬嶽寛治の墓碑

場所

札所の北側10m

由緒

江戸や上方相撲の役力士で、蔵前国技館内の博物館にも記録が残る

1794年に永眠。過去帳は外尾町の善福院に残る


3.旧有田町役場跡

場所

札所から西へ300m

歴史

旧有田町は1954年に有田町と東有田町が合併し、この地に役場が1958年に開庁した

この地は1949年の水害「23水」までは有田川河川敷で、水害後の河川付替え跡地

2006年の有田町と西有田町の合併で、3年後に解体された

現在は、佐賀銀行有田支店と有田町役場東出張所が入居する 


4.正司孝祺生家

場所

札所から東南方300m

由緒

正司孝祺は京極尼子一族の11代目党首で、佐賀藩の経済学・儒学・兵学に影響力をもつ

10代正一郎が有田皿山で絵筆商を営み、その2男で1793年生まれ

1828年の有田大火で、被災者救済を先導した


●第38番札所への道案内

  

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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。