第32番札所 報恩寺大師堂(ほうおんじだいしどう)

●入り口

町並み保存の表通りから、報恩寺駐車場の誘導サインに従い、i稗古場橋を渡り西へ100m


●札所堂宇


山門鐘堂の脇に、札所堂宇はあります。

●安置仏

本尊(中央3尊)

弘法大師

脇尊(右から)

不動明王

大通智勝仏:黒髪山新四国55番札所(1928年)の本尊

千眼観自在菩薩:有田光明新四国16番札所(1900年)の本尊

本尊3尊

子安大師

子安観世音

地蔵菩薩:坐像

●歴史

千眼観自在菩薩は、1900年完成の有田光明新四国巡りで16番札所の本尊とされていることから、その時に創設されたと考えられます。

その後、1928年に開山の黒髪山新四国巡りで、大通智勝仏が55番札所本尊として設置されています。

●漢字 


この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「32番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1..報恩寺

場所

札所の対面

由緒

禅宗曹洞宗の寺院で、1658年の開山

本尊は釈迦如来

境内の岩山:観音山の中段には十六羅漢の石仏が並ぶ

本堂前の磁器円柱1対は、明治期の名工:井手金作の作で、縁起書は21世:松藤萬乗の筆


2.長鯨碑

場所

報恩寺境内で、本堂の対面

由緒

有田皿山中野原の豪商:久富与次平の弟で、1871年に38歳で、釧路沖で船中死した久富与平の慰霊碑

三菱の創始者:岩崎弥太郎は「久富与平が長命であれば三菱は長崎に進出できなかった」という談話が残る 


3.百婆仙の墓碑

場所

長鯨碑の背後10m

由緒

朝鮮陶工:深海宗伝の妻で、1618年に一族を率いて武雄領内田邑から皿山へ移住してきた

1656年に96歳で逝去し、「百婆仙」と呼ばれていた

深海家はその後、泉山年木谷へ移り、有田焼の名門窯焼を継承していく 


4.陶祖李参平公の仮墓

場所

本堂裏手の墓地

由緒

陶祖李参平公の記念碑建立の19年後、有田町在住の在留朝鮮人会で陶祖の仮墓が建立された

碑文は寺内真一が寄稿し、刻字されている

それから30年後に、白川墓地で初代李参平公の墓石が確認されている


●第33番札所への道案内 


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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。