第52番札所 山本観音堂(やまもとかんのんどう)

●入り口

山本地区の町道(1車線)の歩道を、西方の国見連山を目指して進むと、左手に地区公民館があり、札所の堂宇はその敷地に見えてきます。


●札所堂宇

●安置仏


本尊

観世音菩薩:立像/中央

脇尊

地蔵菩薩:木像/右側

弘法大師:石像/左側

堂宇外/右から

1.記念碑

2.天照大神宮:石祠

3.勢至菩薩

4.永代祭記念碑

5.不動明王

6.7.不明

8.三界萬霊地蔵菩薩

9.聖観世音菩薩

10.11.不明

12.13.大日如来

●歴史

この一帯は今から4、5千年前のは古代人の集落遺跡や黒曜石遺物などが多く散布する地域です。

中世期は唐船城を支えた重臣:山本氏の所領地でした。

札所堂宇は、1880年に開山した有田光明新四国巡りの大50番札所で、薬師如来が本尊とされていました。

●漢字


この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「52番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1..山本文殊堂

場所

札所の東方200m、100m戻り左手

由緒

堂宇横の五輪塔から、江戸期に興隆した正願寺の南端墓地跡と思われる

1880年開山の有田光明巡り52番札所



2.坂の下遺跡

場所

札所から西方300m

由緒

1966年の水田耕地作業で、縄文土器片が多数に出土

1967年の佐賀県営発掘で、縄文期集落と判明した

その時に食糧貯蔵穴に多数のドングリ実が発見された

1968年にそのドングリ実を入れたガラス瓶から、奇跡的な発芽を発見

1971年にドングリ実の年代調査が専門機関で行われ、BP3849年±78年と解明された

佐賀県林業試験場では、そのドングリ実からの発芽を苗木に成長させ、1975年に佐賀県立博物館に移植て育てた

ドングリ実はアラカシ実と判明し、「縄文アラカシ」と呼ばれた

西有田郷土史研究会はその縄文アラカシ2世樹の実から、2005年に焼酎醸造を提案し、地元の酒造元で「四千年の目覚めr」が発売された

    

3.狩り場のタブの樹

場所

札所の西方100m

由緒

樹木の根元に2基の「狩場明神」と刻字された石祠が立つ

石祠の建立時期は1774年と刻字あり

名前の由来は、狩猟に明け暮れた古代人が、この巨樹を目標物とした、との口伝から


第53番札所への道案内 


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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。