第61番札所 二ノ瀬観音堂(にのせかんのんどう)

●入り口

国道202号の柳渡瀬橋で有田川を渡り、二ノ瀬交差点(信号灯)から右折し、松浦鉄道踏切を横断します。

県道344号(片道1車線)を横断し、北へ50mで腰岳方面への町道(1車線)へ入ります。

県道から3軒目の民家を過ぎ、細道を右折し、猪柵の施錠を解いて、墓地の中へ進み入ります。


●札所堂宇

●安置仏

本尊(中央3尊)千手観世音菩薩:木像・金箔

脇尊(左端)弘法大師:石像

●歴史

二ノ瀬地区は、1687年の郷村帳に「日向へ村」、1855年に「二ノ瀬」と掲載されています。

この地区は、唐船城初期に城主有田氏を支えた家臣「唐船城七竈」のうち、桑原・川原・堀氏らが移住した村と考えられます。

ここの墓地にある三界萬霊塔には1687年の刻字があり、脇の六地蔵塔は平安期の様式です。

観音堂は有田光明新四国巡りの第80番札所で、堂宇背後の地蔵堂は79番札所でした。

●漢字


この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「61番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1.唐船城七竈の居住地跡

場所

札所の南方500mの有田川右岸

歴史

唐船城築城当時に、城主:松浦丹後守榮に松浦宗家から帯同した7家臣の居住地

7家臣は池田・桒原・川原・川内野・古賀・堀・岩永の7氏

唐船城廃城期(1590年)頃に、桑原・川原・堀の3氏は、当地(丹尾へ移住したと考えられる


2.城江井樋跡

場所

札所から南へ300mの有田川

由緒

有田川の水を二ノ瀬地区の農地へ掛け流す農業施設として、中野神右衛門清明らが1611年に設置した

内容

有田川左岸に溜桝を作り、対岸へサイホン式木菅を、川底に渡して設置したもの

その後も、木菅の管理に苦労している


3.夫婦石駅

場所

札所の西北400m

由緒

伊万里鉄道の駅として1898年に開業

駅舎南側のコンクリート施設は。国見炭鉱で産出した石炭の積み込み施設

石炭は、国見炭鉱坑口から竹籠に載せて、架空搬送されていた

国見炭鉱(1940~1968年)は札所の西方1500mの国見山山麓で採掘していた

現:MRめおといし駅

行き先 上り線:ありた駅行き

下り線;いまり・させぼ駅行き

管理者 松浦鉄道株式会社

路線バス

駅前の国道沿いに佐世保方面・伊万里方面への路線バス停あり

管理者

西肥バス株式会社 


4.夫婦石

場所

札所から北方500m

情景

有田川に残る2つの巨岩(玄武岩か)

1898年に開業した伊万里鉄道駅名は、土地名ではなく、この岩の名から命名された

第62番札所へ向かう国道202号の長井手橋歩道(左側)から望み見ることが可能


●第62番札所への道案内


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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。