第62番札所 吉野薬師堂(よしのやくしどう)

●入り口

国道202号の長井手橋で有田川を渡り、すぐの交差点(信号灯)を左手(西)の伊万里市道(1車線)を進みます。

吉野公民館前の三差路を左手(南)へ進み、市道(1車線)を登っていきます。


●札所堂宇


●安置仏


本尊

格子戸内/十一面観世音菩薩

脇尊

右脇3尊/弘法大師

●歴史

地区名「吉野」は、南北朝期にこの地に逃れ来た菊池武重の関係と考えられます。

札所堂宇を「薬師堂」と呼ぶのは、有田光明新四国巡り77番札所の名残と考えられます。

現在の本尊は十一面観世音菩薩(木像)で、格子戸内の逗子の中に祀られ、御開帳は毎年●月●日に限られます。

●札所漢字


この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「62番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1.吉野神社

場所

札所から北へ300m

由緒

創建は1350年頃で、懐良親王大和国吉野の蔵王権現の分霊を祀る、と記録が残る

即ち、南北朝期の百道浜戦で伊万里へ逃避してきた南朝方:菊池武重の関係で祀られた

その後、唐船城重臣:吉野若狭介がこの地を治めている

江戸期には、当山派山伏が神仏習合の祈祷所とし、「吉野権現」と呼ばれてきた


2.唐船城主:有田丹後守盛の墓地

場所

札所から北へ300m、吉野神社の背後の森にあり

由緒

松浦党唐船城の最後の城主

松浦党宗家と平戸家の不仲により、苛酷な生涯を送るも、城代の池田武蔵守の支援で生き延びる

1593年に没


3.北川観音堂

場所

札所から北方へ600m

由緒

有田光明新四国巡り第76番札所で、本尊は十一面観世音菩薩

作井手北川墓地の中に建つ


4.勝負井手

場所

札所より北東へ500mの有田川河原

由緒

江戸末期に、農業用水問題に決着をつけるために、住民同士が真剣勝負した場所

問題の農業用水は、中田邑上部炭山に造成された棚古場溜池の水

下流域の上ノ原邑の農地への引導の是非をめぐって対立した

賛成派は下流域の内野馬場邑で、反対派は上流活きの中田邑だった

両邑の住民代表が真剣勝負し、有田代官所の佐賀藩吏が立ち会った


●第63番札所への道案内


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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。