●入り口
上ノ原農道を北へ進み、二里町の田園が見える所から、細道を下ります。
内野馬場公民館脇に下り立ち、広い伊万里市道を右手(東)へ50m進み、左手(北)の取付け歩道を進みます。
●札所堂宇
境内地右手広場の戦没者塔は現在、妙見社へ移され、庚申塔のみ残っています。
●安置仏
本尊
中央/毘沙門天:木造・金箔
脇尊
左側2尊の右側/大日如来
左側2尊の左側/薬師如来
右端/厄除け地蔵
●歴史
有田光明新四国巡り第72番札所で、本尊の薬師如来は1901年の安置です。
中央の本尊は毘沙門天像で、上の原文殊堂の毘沙門天を向いています。
更に、その向こうの吉野神社(御神体:蔵王権現像)を向いています。
伊万里郷二里地方は古くから、武勇を誉とし、堂宇の多くには毘沙門天木像が祀られています。
脇尊の大日如来は1914年の安置です。
境内の三夜神碑は1900年の建立で、札所堂宇は地区青年会所だった、と考えられます。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「64番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.吉野山城址
場所
札所から西方600m
由緒
唐船城7支城の1山城で、近年は「内野馬場城」とも位置付けられている
米山観音堂辺りに居館があったと考えられる
写真中央の木立の根本に、井戸が残る
2.米山観音堂
場所
札所から西方500m
由緒
有田光明新四国巡り第71番札所で、本尊は千手観世音菩薩
3.池田武蔵守の墓地
場所
札所から西方400mで、米山観音堂の北麓
由緒
唐船城7竈とよばれた松浦党宗家古参家臣の家柄
3代目武蔵守は、1540年に松浦党宗家と平戸松浦家の内紛から、幸松丸を救出した今福事件の立役者
今福事件の後、唐船城城代に就任し、1577年の龍造寺との無血開城談判で暗躍
1591年の山ン寺焼討ち事件で逃避した僧侶たちを支援し、山ン寺(後の廣厳寺)復興に尽力
唐船城廃城後は中里金武邑に住み、興隆を手掛けている
墓石には「心月宗圓禅定門1627年没」と刻字が残る
4.妙見社
場所
札所から北西に300mで、廣厳寺の西隣
祭神
星生王・北斗星、妙見菩薩
由緒
創建時期は不明だが、鳥居には1690年の刻字あり
内野馬場地区の氏神社で、赤坂地蔵堂と米山観音堂の境内に祀られていた戦没者慰霊碑が移転されて合祀されている
この忠霊塔には、戦没者に限らず、この地区住民で出兵者も刻字されている
●第65番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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