●入り口
伊万里市道(1車線で広い)に戻り、西へ200m進み、4差路を右折(北)して進みます。
広い市道(1車線)で大里川を渡り、北へ100mで札所のある廣厳寺に着きます。
●札所堂宇
本堂南側の納骨堂に隣接して建っています。
●安置仏
本尊
中央/子安観世音菩薩
脇尊
右脇/白山妙見大観音
左脇/弘法大師
●歴史
札所の観音堂は1971年に建立されました。
本尊の子安観音石像はそれまで、現納骨堂の「三星堂(本尊:薬師如来)」に祀られていました。
この薬師如来は、現納骨堂に安置されています。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「65番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.廣厳禅寺
場所
札所は寺院境内
宗派
禅宗曹洞宗
由緒
廣厳寺の前身は、伊万里市と松浦市の市境にあった総持寺で、通称「山ン寺」と呼ばれる
1591年に豊臣秀吉の焼討ちに遭い、逃避した不鉄和尚らを匿ったのが唐船城だった
唐船城主:有田丹後守盛と城代:池田武蔵守は、1592年に腰岳中腹に総持寺を再興させた
不鉄和尚は鍋島家菩提寺に招かれ、弟僧:太田守軽が後継し、1624年に「廣厳寺」と改称した
江戸期に入り世情も安定し、1659年に腰岳中腹から大里邑丹華に移転した
丹華廣厳寺派火災に遭い、1706年に妙見社境内)へ移転し、今日に至る
御朱印
寺院庫裏で受け付け/1件 300円
2.伏鷹天満宮
場所
札所の北方500m
祭神
菅原道真公
祭礼日
毎年11月23日
由緒
創建の年代は不明だが、鳥居に「1717年」の刻字あり
その頃は、対面に浄土真宗寺院:法龍寺(現廃寺)あり、山伏が滞在した神仏習合の「権現」と考えられる
3.神ノ原八幡宮
場所
札所の北方1,200m
祭神
応神天皇、国常立尊、天照大神など24柱
祭礼日
毎年9月15日
奇祭「取り追う祭」は、毎年12月最初の酉の日の前夜
由緒
創建は539年で、神功皇后の朝鮮出兵の御陣とされる
1069年の判官:源久が松浦郡検非偉使として着任し、松浦党祖として八幡宮を祀る
南北朝期の1346年頃に、南朝方の菊池武重が逃避して来て住み付き、武重姓を名乗り宮司となる
4.奇祭「取り追う祭」
場所
札所の北方1,200m
祭礼日
毎年12月最初の酉の日の前夜
由緒
南北朝期の1346年頃に、南朝方の菊池武重が逃避して宮司となって住み付く
再起を願い、火中訓練として始めた、と伝わる
再興の時期は不明で、現在は大里区民の手で「伊万里火まつり」として人気を集める
●第66番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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