●入り口(1)
トラピスト修道院の前から、伊万里農林高演習林道を歩き、約15分のR12から、腰岳登山道の地蔵ルートへ登ります。
●入り口(2)
地蔵ルートを登り詰め、地蔵尊辺りから傾斜が緩くなります。
左手の電波塔フェンスの先から、道標に従い腰岳弁財天への踏み跡を辿ります。
●札所堂宇
石鳥居の向こうに、玄武岩の岩窟の上に石屋根が掛けられた札所堂宇です。
●安置仏
本尊
堂宇内右側/弁財天
脇尊
堂宇内左側の左/千手観世音菩薩
堂宇内左側の右/弘法大師(首無し)
●歴史
堂宇は江戸中期に木造建築でしたが、2度の火災に遭い焼失したと伝わります。
1917年に凝灰岩をくりぬいて神殿が造られました。
屋根に刻まれた家紋「九曜紋」は、佐賀藩内では小城の千葉氏が家紋としています。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「69番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.伊万里トラピスチヌ修道院
場所
札所の北方1km
宗派
キリスト教カトリック系シトー会修道院
歴史
修道院の建つこの丘陵地は従前、「千畳敷」と呼ばれていた
明治初期の佐賀県農政:小作料改訂に不満を持つ有田郷農民が、1880年に一揆を起こし、この地に結集した
この騒動は「腰岳騒動」と報じられた
その後この丘陵地、は西松浦郡町村対抗の運動会会場となる
1962年に伊万里市街地に国見台運動公園が完成
伊万里市は千畳地に、北九州から修道院を誘致した
1965年に修道院施設が完成し、伊万里トラピスチヌ修道院が開院した
2.腰岳500年の森
場所
トラピスチヌ修道院の南側200mの林道沿い
内容
カシの巨樹(樹齢:不明)が2本立つ
根元に、南無妙法蓮華経の経塚と不明石碑が建つ
3.腰岳
標高
475m、黒髪連山北端
別称
伊万里富士
歴史
従前は玄武岩の国見楯状火山で、今から300万年前の黒髪火山活動で海中に陥没
その後に流紋岩の噴火活動で現形をなした
流紋岩溶岩が急激に冷却されて黒曜石と変質。圏域の古代人は、縄文期にかけて黒曜石文化を育んだ、
江戸期は、腰岳南側に、佐賀藩御用牧場を営んだ。現在も、石積み牧柵や馬頭観音などの遺跡が残る
山頂には「南無妙法連華経」の経塚2基が建つ
登山ルート
伊万里農林高校の演習林道が標高350mに伸び、3ヵ所の登山口から軽登山ルートが整備されている
山頂一帯は伐採作業が行われ、伊万里湾から平戸沖への展望が確保されている
●第70番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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