●入り口
窯場の集落道をたどります。庭先の道標が案内しています。
●札所堂宇
●安置仏
本尊(中央)薬師如来
脇尊1.(左側)阿弥陀如来
脇尊2.(右側)不明
●歴史
江戸期の市瀬山は、有田皿山の外山格をもつ窯場でした。
1876年の陶業盟約には、7氏16人の窯焼の登録があり、窯場に相当な賑いがありました。
札所前の路地を進むと「清水谷」と呼ぶ水場で、市瀬山住民の共同水汲み場でした。
今でも、冷たい水を戴くことができます。
この場所は昔から「狂言場」と呼ばれ、休日は浄瑠璃余興でにぎわっていた所です。
札所堂宇が舞台で、対面の植林地書面が観客席でした。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「80番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ
1.市瀬山天満宮
場所
札所から北へ100m戻る
由緒
天満宮石碑には「1761年建立」の刻字あり
明治初期に岩谷神社(84番札所)が創建される時、そこの祭神として移された
しかしその数日後に、市瀬山の若者衆が背負って、この地に運び戻した、という逸話が残る
天満宮拝殿の横に立つ石鳥居は1823年に、市瀬山入口(現庚申碑)に建てられたが、明治初期に移設されてきた
2.大慈庵跡
場所
札所から北へ100m戻る
由緒
現在は市瀬山地区公民館
以前はここに庵寺があり、観音木像などが公民館内に継承安置されている
屋根に掛かる半鐘には1808年の刻字が残る
背後の小山は、1913年頃に観音山(現:黒髪へんろ道第82番札所)として整備されている
●第81番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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