●入り口(A)
市瀬山公民館の右手(旧大慈庵半鐘の下)から公民観置くに進むと、急傾斜の登山口があります・
入り口(B)
地区管理の「大串公園駐車場」の南側に設置された鉄板橋を渡り、右手の参道を登ります。
●札所
札所は山頂部の4観音の所にあります。
●安置仏
本尊(赤1)聖観世音菩薩
脇尊1,(赤2)阿弥陀如来
脇尊2,(赤3)釈迦如来
脇尊3,(赤4)弘法大師
脇尊4,(赤5)公民館横/大日如来
33観音
緑1/如意輪観音
緑2/十一面観音
緑3/千手観音
緑4/千手観音
緑5/千手観音
緑6/千手観音
緑7/如意輪観音
緑8/十一面観音
緑9/不空羂索観音
緑10/千手観音
緑11/准提観音
緑12/千手観音
緑13/如意輪観音
緑14/如意輪観音
緑15/十一面観音
緑16/十一面観音
緑17/十一面観音
緑18/如意輪観音
緑19/千手観音
緑20/千手観音
緑21/聖観音
緑22/千手観音
緑23/千手観音
緑24/千手観音
緑25/千手観音
緑26/千手観音
緑27/如意輪観音
緑28/聖観音
緑29/馬頭観音
緑30/千手観音
緑31/聖観音
緑32/千手観音
緑33/十一面観音
●歴史
江戸期にこの山は、市野瀬山窯場の神域であり、権現そして大慈庵があった所です。
1番の如意輪観世音菩薩像は1846年で、寄進者はこの村の庄屋:前田新左衛門です。
その後、日清・日露の戦後の好景気に、市瀬山を始め有田皿山や大川内山の窯焼が、戦没者の慰霊に観音山を造成したと考えられます。
市山観音山に祀られる観音像のほとんどに、1913年の刻字が見えます。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「35番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.火の谷窯跡
場所
札所から南へ100m
由緒
江戸初期に朝鮮陶工が移り住み、西側の山中に窯を築き陶器を焼いた
佐賀藩の窯場統治で、磁器の窯場となり、有田外山格の窯場となる
明治期には本悪的な石炭窯となり、窯室も拡大され「市瀬新窯」となる
その窯壁が今に残され、見ることができる
2.庚申碑
場所
札所から北東へ200mの市道沿い
由緒
1820年に、市瀬山に疫病侵入を防ぐ目的で建立された
幕末期に、庚申碑が道端では粗末になる、と屋敷内に移したところ不幸が相次ぎ、元の道端に戻した逸話が残る
庚申碑の立つ所には、1823年に石鳥居が建ったが、明治初期に現天満宮へ移設されている
庚申碑の対面は、江戸期の佐賀藩市瀬山口屋番所があった
●第82番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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