第82番札所 杏子地蔵堂(あんずじぞうどう)

●入り口

県道251号を緩やかに登って行き、杏子集落が途切れる所の左手に、堂宇がみてきます。


●札所堂宇

●安置仏

本尊(中央と右端)地蔵菩薩

脇尊1.(右から2尊目)薬師如来:石盤

脇尊2.(右から3尊目)阿弥陀如来

脇尊3.(本尊の右脇と左から2尊目)観世音菩薩

脇尊4.(本尊の左脇)釈迦如来

脇尊5.(左端)釈道斉信士

●歴史

この地は、武雄後藤家から伊万里家に移転した前田美濃守の所領地です。

前田美濃守は始め、堂宇上の高台を居館としていましたが、江戸期に杏子集落に下りたと考えられます。

江戸中期1691年の大雨で、上流に住む僧:釈道斉が溺死し、その遺体を葬り祀るために建立された、と考えられます。

●漢字

この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「82番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設

1.杏子如来堂

場所

札所の東側50m、札所堂宇の背後の山道5分登る

由緒

前田美濃守が武雄後藤家から移転してきた時の居館跡と思われる

江戸期になり、居館は札所堂宇の下に移転した

今は、大日如来・阿弥陀如来と弘法大師が祀られ、堂宇は2017年に改築されている


2.前田久太郎翁公徳碑

場所

札所から北へ100m戻る、杏子橋袂

由緒

前田久太郎は前田美濃守の末裔で、大川内村長を務め、伊万里と武雄を結ぶ県道建設などに尽力した

公徳碑は1945年に建立されている


3.鼓峠

場所

札所から南東へ1,000m

由緒

江戸期からの伊万里往還道で、1957年に県道が現在地に布設されるまで、この道が主要道だった

1800年に、大川内山の佐賀藩窯の名工:副島勇七が処刑され、この地に晒し首にされた所

写真正面は黒岳で、麓の集落は小石原の街並み


●第83番札所への道案内


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黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。