●入り口(1)
県道251号を武雄方面に進み、金石原方面への県道(1車線)の対面から右手の農道を進みます。
比較的小さな道標で、83番札所から県道を登ってくると、道標の背面しか見えません。
青螺山山ン城尾根の岩壁(ここに札所あり)を正面に見て、農道を登ります。
●入り口(2)
農道を登り、腰岳林道に出て、岩谷集落へ下ります。
集落の民家が見えたら、右手に実相院への車道を進み、すぐに右手の参道へ入ります。
ここから、ひたすら参道のコンクリート舗装道を登り詰めます。
●札所
これは岩谷神社で、札所はこの岩壁下の岩窟です。
●安置仏
本尊(左側)十一面観世音菩薩
脇尊1.(右側岩塊上の右側)虚空蔵菩薩
脇尊2.(右側岩塊上の左側)弘法大師
●歴史
地元の口伝に、1130年に水無城主が、妖怪退散のために黒髪神社を祀った、とあります。
江戸期に描かれた絵図に、大川内山の嶽神社と窟権現が描かれています。
参道の石鳥居は1694年に、庄屋:前田新左衛門の寄進と刻字されています。
札所岩窟に残された石碑は、天照皇大神宮・猿田彦大明神などがあり、本尊の3石仏と共に山伏の祈祷所であったようです。
札所上部の岩窟は、明治初期の神仏分離令で創建された岩屋神社です。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「84番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ
1.岩屋神社
場所
札所の上部10m
由緒
祭神は鵜茅草葺不合命と天津姫命(天照皇大神か)
明治初期に神格を得るために、市瀬山から天満宮祠を運び上げ、祭神とした
しかし、数日後に市瀬山の青年たちが、この天満宮祠を担いで持ち帰った、という挿話が残る
2.実相院
場所
札所入口(参道口)から西へ400m
由緒
1930年に開山した日蓮宗寺院
大梵鐘と毎年3月下旬に満開のシダレザクラが人気を集める
境内裏手の青螺山から流れ落ちる夫婦滝も、見ごたえあり
3.川原茂輔生家
場所
札所から東へ900m
生涯
河原家13代は江戸期に独立を画策し切腹。家族は武雄鍋島家を追放されてしまう
14代から川原と改姓し、伊万里郷岩谷村に」移る
19代茂兵衛は明治中期に大河内村戸長に就任
20代茂輔は1859年生まれ。小学校は岩谷から伊万里町まで通学し、草場船山を師とする
学卒後に大河内村官吏となり、教育行政や産業育成を牽引
28歳で県議会議員に初当選し、35歳で衆議院議員となる
1929年に61歳で、佐賀県最初の衆議院議長を務めた
4.桟敷峠
場所
岩谷公民館から県道を南へ500m
行き先
伊万里市と武雄市の境界で、切通し法面の西側取付歩道を登る
頂上部にある墓地は、前田美濃守の墓地(現墓終い済)も、家臣たちの墓石が残る
これより九州自然歩道に入り、500mの山道歩きとなる
●第85番札所への道案内
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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