●入り口
九州自然歩道から筒江集落に下り立ち、1軒目の民家脇の農道を左へ南下していきます。
●札所堂宇
石鳥居の森があり、南側の石造り六地蔵のある階段が札所入口です。
●安置仏
本尊(中央)薬師如来:木像
脇尊1,(左脇)如意輪観世音菩薩:木像
脇尊2,(右脇)不動明王:木像
●歴史
堂宇の背後に天満宮があり、入口には室町期の石造り六地蔵尊を祀ることから、
この地には古くから修験者が集まり、薬師如来を祀る修験地であったと思われます。
黒髪山大智院の記録に、大智院12世覚編が、1640年に養盛坊覚算をここに住まわせ、瑞福寺とした、とあります。
しかし、その瑞福寺は1669年に廃寺となります。
廃寺跡は、黒髪山大智院の修行僧が、神仏習合の筒江権現として、通っていたと考えられます。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末のチェックシートの「85番」の所に、巡礼の証として書き写していきます。
●近くの見どころ
1.筒江天満宮
場所
薬師堂の背後
時期
瑞福寺の廃寺後の創建か/1700年頃か
由来
上段は天満宮で、下段に稲荷社の祠あり。
筒江窯興隆期の邑社と思われる。
2.法華宗庵跡
場所
筒江天満宮の背後
時期
1624年に廃庵
由来
小城松尾山光勝寺の末庵跡と思われる
南無妙法蓮華経の経塚や数基の五輪塔あり。
1624年に有田皿山移転(法元寺:31番札所)の記録あり。
3.筒江窯跡
場所
薬師堂の南側300mに武雄市指定文化財の窯跡(写真)
薬師堂一帯、西側丘陵地に7基の窯跡あり
時期
江戸中期の窯場
由緒
江戸初期に三河内山の巨関が陶石脈を発見
江戸期は、有田皿山として泉山の陶石配分あり
武雄領内の陶工が集まり繁栄し、黒髪山に多くの寄進物を残す
4.渋川玄耳の墓碑
場所
薬師堂から南へ500m、誘導標あり
由緒
明治期のジャーナリスト
少年期に、小田志から筒江に移住
日露戦争を満州で取材して「従軍3年」を出版
石川啄木の歌集「一握の砂」の序文を執筆
5.赤田バス停
場所
札所から東へ500m、県道に出て北へ100m
行き先
上り線/伊万里駅前行きで、県道西側の商店前に待合い
下り線/三間坂駅行きで、県道の東側に待合い
管理者
西肥バス株式会社
由緒
昔は休日の午後、黒髪登山から下山者のバス待ちする姿があった
●次の86番札所への道筋
黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi
黒髪へんろ道の魅力はまず、あの有田焼や伊万里焼の産地です。 さらに。松浦党や武雄後藤家そして南北朝の戦乱の歴史をもった土地柄です。 西九州の田舎ですが、そんじょそこらの田舎とは違う、魅力あふれる田舎なのです。 遍路歩きに来てみませんか。
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